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100回を迎えた「スマートデバイス寄り合い」に思うこと [オフ会/スマートデバイス寄り合い]

先にも書きましたが、「スマートデバイス寄り合い」が先月で第100回を迎えました。
  http://rey.blog.so-net.ne.jp/2009-05-31
回顧録というと年寄りの繰り言になってしまいますが、
経過を記録してきたページ
  http://www001.upp.so-net.ne.jp/rey/party.html
が高々 8年半で web ページのリンクがかなり切れてしまったので、
これを機会に少し整理しておくのも、数十年後に何かの役に立つかもしれません。
誤りがあったら、ぜひコメント欄でご指摘お願いします。


(1) 寄り合いの始まった背景

寄り合いは、最初はイギリスの Psion 社が出していた携帯情報端末の
ユーザの集まりとして始まりました。
Psion の歴史は意外に古く、1980年代からこうした機器を販売して
欧州を中心に結構なシェアを持っていたようです。
しかし日本では、入手経路が個人輸入だけだったことや、
標準では日本語の表示すらサポートされていなかったこともあり、
日本ではマイナーな状態が長く続いていました。
  http://ja.wikipedia.org/wiki/PSION
  http://en.wikipedia.org/wiki/Psion_5
  http://delegate.uec.ac.jp:8081/club/mma/~sanjigen/diary/1999/09/07a.html

1999年に、エヌフォー社が日本で Psion Seris5 用の
日本語入力/表示ソフト「UniFEP for EPOC」を発売、
続いて Series5 を高速化した Psion Series 5mx を投入して
一部店頭で実機に触れられるようになりましたが、
日本における Psion はマイナー扱いが続いていました。
  http://www.mobilenews.ne.jp/news/1999/09/2203n4.html
  http://www.enfour.co.jp/psion/japanese/unifep.html

その頃の日本の PDA界(?) は、HP100LX あたりから拡大を続けて、
2000年頃には Palm や Windows CE マシンといった種類ごとの軸を中心に
オンライン・オフラインで活発なユーザ活動が行われていました。
これに対して Psion ユーザは、
  ・NiftyServe FAMIGA (パソコン通信)
  ・psion-ml-j, palmtop-pc-ml (インターネット上のメーリングリスト)
などオンラインで情報交換がされていたものの、
人数が少ないこともあり、オフラインでの活動は
局所的に行われていた程度だったようです。


(2) (Psion 的に) 大規模なオフ会

そんなオンラインのやりとりの中で、関東地方には
それなりの数の Psion ユーザがいるらしいことが分かってきました。
秋葉原に 5mx の実機を販売する店が何件かあったことも
影響しているのかもしれません。
そんな中、psion-ml メーリングリストで「一度オフ会でもやりませんか」
と呼びかけたところ、予想以上の反応があり、
2000年10月21日に秋葉原で 20名が集まり、オフ会を開催しました。
  http://www001.upp.so-net.ne.jp/rey/party-old.html#kanto20001021

この時の参加者は、20代-40代くらいが中心、
男性が大多数 (8割くらい?) という感じだったように記憶しています。

その時に、参加者から口々に
  ・自分以外の Psion ユーザを初めて見た。
  ・他の参加者と話ができてよかった。
  ・料理にほとんど手をつけず、話し込んでしまった。
  ・家族サービスなどがあるので、オフ会のスケジュールに
   あわせるのは難しいが、思い切って来て良かった。
という声が上がりました。
オンラインで文章では交流のある方が多いとはいえ、
(自分も含めて) 皆さん話し相手に飢えていたのだと思います。


(3) 月例の「寄り合い」へ (第2回)

そんな中、(後に東日本 Psion/EPOC ユーザーズグループの
代表となる) かねこさんから、
 「こんなに皆さん話に飢えているのだから、ふらっと立ち寄って
  Psion の話や他の話を気軽にできる『場』が欲しい。
  毎回は参加できなくても、都合のつく時だけふらっと参加できるよう、
  決まった場所と時間があるといい。」
という提案がありました。
幸い、よい会場を紹介できるという提案や、
参加のとりまとめをやろうという人も居り、翌 11月から
現在の東京・赤坂「六九」で月末の土曜日、というスタイルの
寄り合いが始まりました。
  http://www001.upp.so-net.ne.jp/rey/party-old.html#kanto20001118

翌 12月には、第3回寄り合いの会場で
「東日本 Psion/EPOC ユーザーズグループ」の設立集会が行われ、
寄り合いは同ユーザーズグループの活動の一つとなりました。
  http://www001.upp.so-net.ne.jp/rey/party-old.html#kanto20001217


(4) Psion ユーザ活動の多様化

同じころ、KanPsi-UG (関西地方) や香港 EPOC TJ が立ち上がったり、
信州地方で活動していた MM-Club が Psion 関係の会を開くなど、
地域ごとのユーザ活動が広がってきました。
  http://www001.upp.so-net.ne.jp/rey/party-old.html#kansai20001123
  http://www001.upp.so-net.ne.jp/rey/party-old.html#chubu20010901
  http://www001.upp.so-net.ne.jp/rey/party-old.html#chubu20001104
  http://palmyamcha.hkisl.net/?p=3725

またオンラインでも、独自の掲示板を使った PLANET PLAN をはじめ
いろいろな志向をもったコミュニティができて、
互いの交流も行われていきました。



(5) 昼の部 (第6~10回の頃)

2001年に入り、その頃の寄り合いの話題は、
  ・誰かが持ってきた疑問を皆で寄ってたかって解決する。
  ・他機種用の周辺機器を持ち寄って、Psion で使えるかどうか試す「実験君」
  ・Psion ユーザを増やすにはどうすればよいだろう?
  ・本体や周辺機器の分解ショウ
などが渾然一体となっていました。
参加者も 20人弱くらいと多く、お酒の入る場所ということもあり、
濃いネタに突っ込んでいく人と、初参加だったり初心者だったりで
一部の話題についていけない人とに二極化してきたという感じもありました。

そんな中、間口を広げて、酒抜きでのまじめな
勉強会的なことをやってみようという話で、
「寄り合い 昼の部 (または第一部)」を始めました。
ジュースとお菓子で茶話会をしたり、
予め発表者を決めて講演会をしたり、という感じで
夜の寄り合いとの差別化を図ろうとしましたが、
会場確保の難しさや、参加者が少なかったこともあって
5回ほどで終わってしまいました。
  http://www001.upp.so-net.ne.jp/rey/party-old.html#kanto20010324
  http://www001.upp.so-net.ne.jp/rey/ (近藤が発表した分の資料)

しかし、夜の部には参加できないという方に会えたりなど
予想していなかった成果もありましたし、
その後の単発イベント開催へのきっかけとなりました。



(6) イベント開催 (第12~17回の頃)

寄り合いというよりはユーザーズグループの活動になりますが、
ユーザ仲間を増やそうという発想から、東京・新宿で 2001年11月に
一般向けの紹介イベント「PSION -- Entrance 2001--」を開催しました。
このイベント自体は、観客よりスタッフが多いという感じで
決して盛況ではありませんでした。
  http://www001.upp.so-net.ne.jp/rey/party-old.html#kanto20011118

この反省を生かして、翌 2002年3月には Macworld Expo 2002 の一角に
ユーザーズグループブースの一つとして参加、Mac での Psion 活用について紹介したり、
4月にもユーザ向け講習を中心とした「Psion Entrance2」を
秋葉原で開催するなど、イベント活動が続きました。
  http://www001.upp.so-net.ne.jp/rey/party-old.html#kanto20020321
  http://www001.upp.so-net.ne.jp/rey/party-old.html#kanto20020421

こうしたイベント活動は、ユーザーズグループとしては
楽しいものだったように思いますが、反面、
このイベント期の終わり頃から寄り合いの参加者が漸減を始めます。
Psion 関係のニュースが減ってきた時期というのもありますが、
一種の活動疲れになってきていたような気もします。

なお、これらの活動は、現在の寄り合いにも経験が継承されて、
その後のスマートフォン関係のイベントへと繋がっていきます。
  http://palmdra.hp.infoseek.co.jp/Symbian%20Entrance.html
  http://digilife.bz/blog/?p=1141
  http://gogosmartphone2.vox.com/library/post/お知らせ仮nokia-n97発売記念イベントをやります.html



(7) マーケティングの場 (第10回頃~現在も)

寄り合いは東日本 Psion/EPOC ユーザーズグループの
集まりとして始まりましたが、
当初から参加資格無し・飛び入り歓迎をうたっていたためか、
ときおりメーカーや販売店関係の方が
個人的に参加されることがありました。
とはいえ規模の小さな PDA 業界のこと、そうした方々も
他のユーザ以上にこうした機器に強い興味を持っている
仲間であることに変わりはなく、話は弾みます。

そんなことが何回か続くと、寄り合いの場に
発表前の試作機や開発中のソフトウェアなどを持ち込んで
感想を聞いたりする方も現れました。
  http://www001.upp.so-net.ne.jp/rey/party-old.html#kanto20010929
寄り合いの場で、マーケティングが行われる訳です。

当然話は盛り上がりますが、NDA (情報の非開示契約) を
結ぶ訳では無いとはいえ参加者が勝手に公にする訳にもいかず、
  ・発表前の機器・情報については、それを明示する。
  ・明示された話や、いかにも危ない情報については、
   参加者は大人として blog などに書かない。
  ・本当に危ないものは、写真にも残さない。
という暗黙のルールが形成されていきます。
いわゆる「ここだけの話」という奴です。

こうしたことが重なると、外から見るといかにも楽しそうなのに
情報が出てこないという状態になるのでしょう。
まれに「秘密主義だ」「利権を持っている」といった
批判を受けることもありました。
難しい問題ですが、そうした制約を受け入れてでも
メーカーや販売店とユーザが近づき、健全な信頼関係を結ぶことは、
互いに大きなメリットがあると思います。



(8) Psion 以外の話題への拡散 (第20~30回の頃)

Psion 5mx の後、エヌフォーが独自に日本語化した
5mx Pro 日本語版を出すという動きはありましたが、
ハードウェア的には大きな変更はなく、
Psion 関係の話題はだんだんと少なくなっていきました。

そんな中、PDA としては大きな勢力となっていた Palm や Windows CE、
VAIO U や Interlink などの小型 PC、新興の PocketCosmo などなど、
話題は次第に拡散していき、あまり Psion 関係の話題は語られなく
なっていきました。

そんな中、スエーデンの Ericsson が初のスマートフォン R380 に
EPOC を搭載し、その後継 OS である SymbianOS を搭載した
コミュニケータ 9210 をフィンランドの Nokia が出すなど、
PDA からスマートフォンへの流れが鮮明になってきます。
  http://www.gsmarena.com/ericsson_r380-195.php
  https://europe.nokia.com/get-support-and-software/product-support/nokia-9210
Psion に興味を持つ人々からはこれらへの興味も高く、
我々も Nokia 9210i を紹介するイベントを開催したりもしました。
  http://www001.upp.so-net.ne.jp/rey/party-old.html#kanto20030309



(9) 低迷期 (第40回ごろ?)

話題が Psion 以外に移ってしまうと、別に話をする場は他にもある訳です。
参加者は増減を繰り返しながら、一時期は 3人程度でただ馬鹿話をするだけ、
ということもありました。
その時点で止めてしまうという選択肢もあったのですが、
そろそろ SymbianOS を搭載したスマートフォンも広がりつつあり、
いつの日にか日本でもそれを使いたいなどの話をしながら
たまに休会したりしながらも、のんびりやっていました。



(10) bluetooth の電波が飛び交う (第30回頃~今でも)

Linux Zaurus や iPaq などが人気となり、
bluetooth の使える機器が徐々にですが増えてきました。
最初の頃は、つながる相手を求めて
寄り合いの場で接続実験が行われました。
  http://www001.upp.so-net.ne.jp/rey/party-old.html#kanto20030830

また PDA にとどまらず、Nokia の Digital Pen や
Sony Ericsson の bluetooth car などの bluetooth 電波も
飛び交いました。

後に bluetooth 搭載スマートフォンの普及が進むと、
「次回寄り合いのスケジュールを bluetooth で配布する」ことが
月例の風景となり、デバイスを検索すると 20台とか 30台という感じで
参加者数を遥かに超える bluetooth デバイスが見つかる時代になっていきます。
まだ一般に普及していなかった頃なので、
「携帯機器メーカーの開発拠点を除けば、日本で一番
bluetooth 密度が高い」などと冗談を言う人もいました。



(11) スマートフォンの時代と、寄り合いの名称変更 (第47〜54回頃)

先に書いた SymbianOS 搭載スマートフォンは、当初は GSM だけの
日本では通話できない PDA として細々と使われていましたが、
Nokia 6630 あたりからは日本でもインバウンドローミングによる通話が実現。
さらに 2004年にはボーダフォンが 702NK を発売、
2005年にはドコモが M1000 を発売し、
日本国内でもスマートフォンが使えるようになりました。
  http://mb.softbank.jp/mb/product/3G/model/vodafone_702nk/
  http://hehehe69.blog.drecom.jp/archive/111

その頃になると、Windows Mobile や PalmOS 搭載スマートフォンも出揃ってきました。
こうした中、以前からの PDA 系ユーザが活動をスマートフォンに移したり、
新しいユーザが興味を持ったりして、寄り合いの参加者も再び増えてきました。
10~20人くらいでしょうか。

そんな中、「もう Psion でもないだろう」との幹事団の考えで、
第49回から名称を「スマートデバイス寄り合い」に変更しました。
  http://www001.upp.so-net.ne.jp/rey/party-old.html#kanto20050226

「スマートデバイス」という名称は、その当時も、その後にも
各社がそれぞれの意味づけで使っていた、いわば何でもありの
言葉だったのですが、それがむしろ都合よく
特定のメーカーや機種に縛られない言葉として選びました。
ただ語呂はあまり良くないようで、「スマデバ寄り合い」とか
単に「寄り合い」と呼ばれることの方が多く、
他の「寄り合い」を名乗る集まりに迷惑を掛けているかも...



(12) 一度だけ場所を変えてみた (第50回)

寄り合いの開始以来、会場として使わせていただいている居酒屋「六九」は、
予約時の人数が曖昧でもなんとかしてくれて、
手軽な価格でうまい料理を出してくれる上に長居を許してくれるという
非常にありがたい存在なのですが、参加人数が増えると
席が足らなくなってしまうことが不満点でした。
そこで、第50回を記念して、「一度は六九以外の場所を試してみよう」と
秋葉原の大型の居酒屋を下見した上で、スペシャル寄り合いを行いました。
  http://www001.upp.so-net.ne.jp/rey/party-old.html#kanto20050319

雰囲気も変わって楽しめたことは楽しめたのですが、
貸し切りではないので周囲がうるさかったり、
参加者からの連絡がうまく取れなかったり、
なにより人数が不定だと座席を確保するのが大変、と欠点も見えたので、
予定通りそれ以降は六九で続けています。



(13) プログラミング合宿 (第50〜53回頃)

スマートフォンが日本にも導入され始めたことで、
参加者の中にスマートフォンの開発に興味を持つ人が増えてきました。
そこで、寄り合いで情報交換するだけでなく、温泉に集まっての
一泊二日のプログラミング合宿が開催されました。
  http://www001.upp.so-net.ne.jp/rey/party/kanto20050319/kanto20050319-report.html#develop
  http://www001.upp.so-net.ne.jp/rey/party-old.html#kanto20050604gasshuku

特にテーマは決めず、幾つかの勉強会と、後は各自がプログラムを書くという形で行われました。
準備も含めてハードだったせいか、第2回は行われていません。

またこれを機会に symbian-dev.com が立ち上がり、
寄り合いの紹介ページもできました。
  http://symbian-dev.com/index.php?%B4%F3%A4%EA%B9%E7%A4%A4



(14) じゃんけん大会 (いつ頃からだろう?)

毎回という訳ではありませんが、いつの頃からか記念大会や忘年会など不定期に
有志が景品を持ち寄ってじゃんけん大会が開かれるようになりました。
  http://www.symbian-dev.com/index.php?cmd=read&page=%B4%F3%A4%EA%B9%E7%A4%A4%2F%C2%E8%A3%B6%A3%B0%B2%F3%282006%C7%AF1%B7%EE28%C6%FC%29

AAS Pub Meet のような、メーカーをスポンサーに付けて
携帯電話を配るなんてことはできませんが、小ネタでも毎度かなり盛り上がります。
  http://www.allaboutsymbian.com/features/item/AAS_Pub_Meet.php



(15) 二次会 (第60回くらい〜?)

会場の六九は割と長居を許してくれたので、ずるずると終電近くまで
話し込んでいることもあったのですが、長年やっていると状況も変わって
最近は 21〜22時くらいには終わるようになってきました。

その代わり、更に話したい人は集まって二次会に行くことが多くなりました。
最初は会場の近くにあったパイレストラン「アンナミラーズ」へ。
  http://d.hatena.ne.jp/ma_digilife/20060724#1153711001
そこが店を閉めた後は、やはり近所のファミリーレストランを使っています。


(16) スマートフォン以外の流行

PDA やスマートフォン以外にも、寄り合いの中で話題になり、
流行したものが幾つかあります。
割と最近の分で、思い出したものだけ順不同で書きますが、
  ・電子ペーパー端末 (iRex iLiad など) と断裁機
  ・ヘッドマウントディスプレイ (ニコン UP など)
  ・モバイルルーター (PHS-300 など)
  ・各種デジカメ
  etc.

もちろん、bluetooth ヘッドセットやケースのような周辺機器は、
今も多種多様なものが話題になります。



(17) 参加者の移り変わりと、寄り合い幹事団

現在の参加者を見ると、最初の秋葉原のオフ会に出ていたような
古い Psion ユーザはむしろ少数派で、
ここ一、二年で参加された人も多くなっています。
これは、初参加の人が定常的に居て、定着したり定着しなかったりして、
また参加を止める人や再度復活する人もいて、次第に参加者が入れ替わってきた結果です。

ただし、参加者層として見るとほとんどが男性で、中心は 30代くらいのようです。
また、少しづつですが高齢化も進んでいます。
これは、今の中心的な話題であるスマートフォンが割と高価で、
学生ユーザが少ないことが影響していると思います
(スマートフォン勉強会など、場所によっては学生さんも活躍されているのですが)。
  http://smartphone.techtalk.jp/


参加者が変わりゆくのと同様に、幹事も長期間に渡って
一人がとりまとめを続けることはできませんでした。
もともと、場所と時期を固定するとのコンセプトから
会場予約などの手間は最小になっているのですが、
最近では「スマートデバイス寄り合い幹事団」として
数名が登録しているメーリングリストがあり、
メインの幹事が都合の悪い時は他の人が代わりに動ける体制にして
負担を分担しています。

さらに、イベントの時などは同じ幹事団の名前のまま、中の人が大幅に増えたり
取りまとめる人が別に立ったりして、臨機応変に対応しています。



(18) 最近の話題の方向性

最近は、iPhone や Android 搭載端末、BlackBerry など
話題性の高い機種が頻繁に発表され、
新しいサービスが次々と立ち上がる、
スマートフォンの拡大期と言って良いと思います。
当然、そうした新機種はいつも話題の中心にいますが、
それ以外にも、リアルタイムに近く入ってくるようになった海外事情、
面白そうなおもちゃ (ガジェット)、など広い話題が話されています。

そんな中、参加者数も増加傾向で、20名近くになってきました。
そろそろ会場が手狭なのが悩みといえば悩みですが、
これ以上増えても話が分散するだけなのかも知れません。

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